ステンドグラス工房

「ロマンの森共和国」内ステンドグラスルームPのヒゲ

葛飾北斎「富嶽三十六景」 ペインティングランプ

「富嶽三十六景」は、北斎63〜73歳の一番脂の乗りきった時期の作品で、特に赤富士や大白波は日本人なら誰もが目にしている浮世絵です。

今回冥土のみやげに36全作をステンドグラスで制作しようと思い立ち改めてじっくりと見てみますと、私のような素人目にもどの絵も構図は斬新にして完璧な完成度で、且つ西洋絵画とはチョット異なる独自の遠近法?ですが絵の奥行きは見事に出ていて、今更ながらすごい絵だなぁと作業しながら感心ばかりしてました。
例えばです。小生「富獄三十六景」で一番好きな「尾州不二見原」という作品があります。
もろ肌脱ぎの職人が作っている大きな、大きな桶の中に富士山を描いた構図です。 これ、桶を額縁にして尾州、名古屋から遥か200km先の富士山を描いているんですが、古今東西そんな遠方にメインテーマを置いた絵があったでしょうか。 こうなると遠近法云々の言葉そのものが無意味。それにしても、この底板の抜けた桶の配置は絶妙!

更に加えて、絵にストーリーを感じるためか季節はいつなんだろうかとか人物や松や岩をどんな色でどの程度浮かしてー立体化してーハンダしようかと作っていて実に楽しく、江戸時代にタイムスリップしたような高揚感すら覚えました。
そしてどの絵を見ても実直そのもの手抜きなど一切なくどっしりとした揺るぎのない構図で、絵からの察せられる北斎の人物像はバランスのとれた人格者を彷彿とさせるのですが、どっこい、今制作を機にちょっと北斎の人となりを辿ってみますと、先生は全く世事に疎い無頓着な希代の大変人でした。
北斎は正に絵を描きにだけ生まれてきたような人物なんですネ。

以下に、「Wikipedea百科事典」より北斎に関するエピソードを挙げてみます -感嘆と苦笑を交えながら-
・現東京墨田区で貧しい百姓の子として生まれ、90歳没(1760−1849年)
・生涯二度結婚し、六人の子を儲けている。酒、たばこは嗜まず、菓子を好む。
・生涯金銭に無頓着、故に画工料は相場の倍も貰っていたが騙されたりして赤貧の暮し。
・人付き合いができず、挨拶すら苦手、服装も極めて質素。雑な紺縞の木綿,柿色の袖なし半天、六尺の天秤棒を杖に外出。歩きながら呪文を唱えることも。
・生涯で93回転居している。人名帳にも「居所不定」。北斎が転居を繰り返したのは同居していた出戻り娘のお栄(画家志望)と絵に没頭し部屋が荒れたり汚れたりするたびに引越ししたからであるとのこと。最後の家は以前住んだことのある借家だったそうだが、室内は前に出たときの汚れたままっだたとかーー落語のような話ーー。
・弟子が残した北斎の制作風景のスケッチ:室内でこたつ布団をかぶりながら筆を持つ北斎と箱火鉢に添う娘お栄。柱にはみかん箱を打ち付けた仏壇。土間に散らかったぞうりと下駄。火鉢の後ろは食品容器の竹の皮のごみの山。---壮絶!
・北斎は画号を生涯30回改号した。前の画号を弟子に売っていたとも。「北斎」の号も弟子橋本庄兵衛に売り付けており「富嶽三十六景」はすべて「為一筆」とサインしている。
・生涯3万点超の作品を残す。浮世絵、版画、絵本、銅版画、ガラス絵等
・1999年米雑誌「ライフ」企画の「過去1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人として北斎が入っている。
・「赤富士・凱風快晴」、「神奈川沖波裏」を見たゴッホは友人に手紙で絶賛。印象派の画家への影響も大きい。 ドビッシーは「波裏」に発想を得て交響曲「海」を作曲するまでに。
・ 「波裏」の波の形は抽象表現かと思われがちだが、現在のハイスピードカメラで波を撮ると「波裏」が静止画として極めて写術的であることが分かっている。

*浮世絵原画写真は「アダチ版画研究所」のご好意により掲載するものです。

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モネ「左向きの日傘の女」ペインティングランプ (作品集:MPL-1〜) 

「日傘の女」は、以前上野の美術館で見たんですが、その爽快感は何ともいえないものでした。
この絵は三枚の構図で知られてますが、あふれる陽光の中モネの見上げる目線の先に女性を屹立させ、その女性の影がくっきりと草むらを黒くしている「左向き」の絵が切れがあって私は一番好きで、ステンドグラスでどの位その爽快感が出せるか試したくて今回制作した訳です。

余談ながら、完成後作品を設置したところ「空」のガラスがどうしても気に入らず全面別のガラスに入れ替えたり、重いので作品運搬、設置に4人も要したりですんなりとは行きませんでした。

それにしても今回の制作で知ったのですがモネの生き様、壮絶の一語に尽きますね。

下記年表の通り「日傘の女 モネ夫人と息子」を描いた30代前半までの穏やかで幸福ないっ時を過ごした後は、貧困、病苦、家族との別離等々逆境の全メニューに耐えて行かなければならなかったのですから。ならばせめて最後だけでも安穏にと思いたいのですが、それもご承知の通りです。

即ち、晩年モネは友人ジュルジュ・クレマンソー(首相経験者)を通じフランス政府にオランジュリー美術館への大壁画の寄贈を申し出て政府も同館に「睡蓮の間(2室)」を用意し、モネも当時激痛を伴った三度の白内障手術をしてまで「睡蓮」の制作にのめり込んでおります。
が、視力の影響で作品に自信が持てなかったのでしょう、ついには寄贈の辞退を申し出るも受け入れられず、渋々自分の死後公開することを条件に作品を完成させております。
色がはっきり見えないためパレットのどの位置に 何色を置いたか記憶しながら絵を描いたとか・・・。
モネの作品は光、それを現す色そのものが見えない苛立ちと絶望、晩年の巨人にとっては真に悲し過ぎる話ですネ。

そこで下世話ながらせめてちょっとほっとできるこんな話はどうでしょう。
モネの絵の収入についてです。
1860年ごろのパリでのパンの価格は0.4フラン/kg位だったそうです。現在の食パンを仮に200円/斤・約320g(400円/kg)として 計算すれば購買平格は:千円/フランとなります。

その価格で計算しますと、モネの絵は第一回印象派展出品作は競売で233フラン(23万3千円)で売られてますが「第二回展」に出品された「ラ・ジャポネーズ」になると2千フラン(200万円)、この時期市場も急騰したようで、その後の絵は4千(400万円)〜6千フラン(600万円)程度との話があります。
晩年の「睡蓮」だけでも200点以上制作されてますので、その収入はーー!

因みに当時のパリの労働者は時給0.25フラン(250円)との記録がありますので、月収5万円程度ですか。
ですから、晩年は白内障やリューマチに悩まされながらもすでに巨匠と呼ばれジヴェルニーで豪邸を構えるくらいですから 経済的には全く心配なかったのではと思います。
但し、妻カミーユが亡くなった1879年頃は質屋通いの生活で、売れ出したのは50歳を過ぎた1890年代以降ですが。

晩年のモネは、ジヴェルニーの自宅への来客を断ることが多かったが日本人の来客は歓迎したと言われ、自宅に来訪した日本人家族の少女に顔をほころばせるモネの写真が残っているそうです。北斎さんのお陰ですネ。
以上、取り留めのない制作余話でした。 

ネット絵画「日傘の女」

クロード・モネ(1840・天保11年―1926・昭和1年)「日傘の女」誕生迄

・19歳でパリへ、パリ生まれながら5歳でル・アーブル(ノルマンディ地方)移住していた
・近く妻となるカミーユ(12歳)をモデルに「緑衣の女」制作、サロンに入選
・20歳、カミーユとの間に息子ジャンが誕生
・美術商エルネスト・オシュデがパトロンに
・1874年「第1回印象派展」に「日の出、印象」他を出品、注目を集める ――印象派誕生、カミーユをモデルにした作品も多い(「レ・ジャポネーズ」等)
・1875年(明治8年)「日傘の女性、モネ婦人と息子」(別名「散歩道」)制作 ――妻カミーユと息子ジャンの表情が分かる、貧しくともこの頃がモネの人生で最も幸福な時期かーー
・1878年、パトロン、エルネスト・オシュデが破産、国外へ逃亡
・6人目を身籠ったオシュデ婦人アリスと子供5人を引き取る、家族10人に
・妻カミーユ次男出産で体調(白血病?)を崩し、翌年(1879年)貧困の中満足な 治療も行えず死亡、32歳の、死の床の妻のため質屋から思い出のペンダントを引き出すよう侍医に手紙で頼んでいる、「死の床のカミ―ユ」制作 ――この後、アリスと再婚、モネ白内障に
・1883年ジヴェルニー(パリの西80km)に移転、以後1926年に没するまでこの地で制作 ――200点以上「睡蓮」や積みわら、ルーアン大聖堂、ポプラ並木 等の連作――晩年ほとんど視力をなくし白内障を手術(激痛)、リウマチで動けず連作に
・前作から11年後の1886年(明治19年)、モネ44歳のとき連れ子の三女ジュサンヌ(18歳)をモデルに「日傘の女性、モネ婦人と息子」と同じ構図で「左向きの日傘の女」と「右向きの日傘の女」の2作を制作 ――何れも女性の顔は塗りつぶしたようで、表情を描いていない、人物を風景と光の中に溶け込ませるための手法なのか、あるいは妻カミーユへの想いから顔を描けなかったのかーー?
モデルの腰の“ひなげし゛のコサージュが前妻カミーユを象徴している
これ以降、モネは人物画をほとんど描いていない

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ペインティングランプ

「ペインティングランプ」は作者自称ですが、
・絵と額縁をステンドグラスで一体物として制作する
・裏面から照明(蛍光灯、電球)を当てる
・時には、絵画部のモティーフの一部を額縁までフライングさせる
・立体感を与えるべく モティーフを背景ガラスより浮かせて固定する
等、絵画をダイナミックに表現し、且つ室内でもステンドグラスの明るさ、キラキラ感を楽しめるよう制作したものです。
「ペインティングランプ」の作品重量は例えば絵画部30号の作品No.P-1「火焔湧く」で17kgですが 全ての作品裏面に真鍮角棒(3×6mm)をはんだ付けして一周させてありますので、壁面での吊り下げは強度面でまったく問題ありません。
なお、作品の裏面は真鍮丸棒(Φ3mm)枠を作り照明(蛍光灯)を固定しておりますので、作品の厚さ(奥行)がどの「ペインティングランプ」も約10cmあります。

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ランプ

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置きランプ

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壁掛けランプ(作品集: No.W-1〜)

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パネル

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カガミパネル

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置物

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その他

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